大使

〈アナログ〉誌に短編を買われたことはない(実を言うと合衆国のどの雑誌にも買われたことがない)。しかし同誌の編集者スタンリー・シュミットによると、この短編は「惜しかった」らしい。「力強い語り口」「心を掴むテーマ」があった、と。悲しいことにスタンおじさんは結末が「醜悪で」「単純すぎる」とも見ていた。言い換えると、どうしようもなく虚しかったということだ(私の作品をよく知る人にはお馴染みの繰り言だろう)。結末に賑やかしのピエロを投入するという考えを弄んではみたが、巧みに踊らせることは叶わなかった。

「大使」は短編集 Ten Monkeys, Ten Minutes でお披露目を果たした。多少のアップデートとおめかしが施された(しかし変わらず醜悪で虚しい)形ではあったが。『ブラインドサイト』が出るまで、本作は私が「宇宙船と光線銃」式のSFに進出した唯一の作品だった(それは今も変わらない)。過去作への粋な言及と言おうか、凡庸なアイデアの哀れを誘う再利用と言おうか、本作のテーマを表すキャッチフレーズは『ブラインドサイト』でも使われている。

 ファースト・コンタクトで万事解決、のはずだった。

 まあ、そういう噂話があったんだ。エリダヌス座イプシロン星からお越しのお優しい魔術師団が俺たちを業火から救い出し、天の川にまたがる巨大な銀河同盟に迎え入れてくれるっていう噂が。克服できなかったどんな病気でも治してくれるし、泥沼の政治紛争だってなんでも解消する。全て正常な状態にしてくれるんだと。

 俺が狩られる獲物になるなんてことは、ないはずだったんだ。

 最初は、哲学的な含みについて深く考えはしなかった。命からがら逃げるので精一杯だったからな。〈ゾンビ〉は宇宙へと猪突猛進し、空電ばかりの戯言をまくしたてる船載知能の奴隷になった。ナビゲーションは冗談そのもの。闇雲な転移をするたびに、元いた場所へ戻れる見込みは一桁ずつ減少していった。それでも何度だってやるしかなかった。実行しなかった転移はことごとく俺を殺していたはずだ。

 再び裂け目から出る。長距離転移で着いた先は、控えめな連星系の、彗星の巣のどこかだった。もっと状況がましだった頃なら、コンピュータがすぐさまお供の系内惑星を見せてくれたことだろう。今となっては必要な測定をするのに数日かかってしまう。

 そんな時間はない。船載知能なしでも生の星の光を使えば一日かそこらで現在位置を特定できただろうが、正体不明の追手がそんなチャンスをくれた試しはなかった。何度か始めてみたこともある。執行猶予は最長六時間。それだけかけてわかったのは、オリオン渦状腕の核方面のどこかにいるってことだけだった。

 俺は試すのをやめた。任意の瞬間tの現在位置を知ったところで、t+1の時点で先へ進めるわけじゃない。転移するとすぐにまた迷子になっちまうんだから。

 そんなわけで俺は常に転移していたし、向こうは常にこっちを見つけ出していた。その方法は今もわかっていない。理論上、特異点経由の追跡は不可能だ。ところが、どういうわけか宇宙は常にその口を開き、腹を空かせた謎の怪物が俺の許に舞い降りる。原因がわかってたら、対処はもっと簡単だったかもしれない。

 何をしたのかとあんたらは訊くだろう。そんなに怒らせるほどの何をおまえはしたのかと。なあに、俺は挨拶しようとしただけさ。

 いったいどんな知性が、たかがそんなことで気分を害するってんだ。

 枯れ木を想像してくれ。高さ三五〇メートル、六本の節くれだった枝が幹からうねうね伸びている奴を。それを固有名さえない今にも燃え尽きそうな赤色矮星の周回軌道に投げ入れる。これが俺の遭遇したものだ。舷窓や舷灯はなく、船体にはなんの印もない。それは忘れ去られた宇宙の流木みたいに漂っていた。たまに表面が恒星の光を反射して燃えさしっぽく光るんだが、それも構造物を覆う影を濃くするだけなんだ。遺棄船だと思ったよ、最初はな。

 当然、とにかく形だけでもやってみたさ。最適な波長で交信を試み、百通りの方法で接触しようとした。相手は何時間もこっちを無視していた。その後、中性水素原子の周波数で送られてきた微弱な信号を、俺は船載知能に取り込んだ。

 エイリアンの通信に対して、他にどんなやりようがあるんだか。

 船載知能がどきりとさせるしゃっくりを発して、クラッシュした。パネル上の全計器がありえないほど一斉に瞬いて、光を失った。

 それからドップラー効果が検知され、ミサイルの初弾が迫ってきた。

 だから俺は闇雲に転移した。選択の余地は一切なかったし、以降四度の転移でもそれは同じこと。パニックを起こして逃げている最中のいつだったか、俺は我が拷問官に名前をつけていた。〈カーリー〉と。

〈カーリー〉が飽きたというなら話は別だが――俺のような操り人形の中にさえ、希望は尽きず湧き上がるんだ――数時間後にはまた逃げなきゃならなくなる。とりあえず〈ゾンビ〉を連星に向けて推進させた。広大な宇宙空間にいては身も隠せない。星系なら、潜在的なものでも多少ましにはなる。

 星系に辿りつく遙か手前で転移を強いられるのは目に見えていたが、かまやしない。俺の反射神経はあらゆる環境下で機能するよう設計されていた。〈ゾンビ〉のオートパイロットは使えなくなっているかもしれないが、俺の力で操縦は苦もなくこなせた。

 転移と転移の間は再充電の時間が必要だ。これまでのところは〈カーリー〉がこちらを見つけるまでにかかる時間の方が長かった。そのうちそれも変わりそうだったし、船載知能には早いとこ再稼動してもらわなければならなかった。

 俺は知っていた。地獄に希望がないことを。

 ここらで少々、後知恵の科学捜査をしてみよう。〈カーリー〉はいかにして襲撃をやってのけたのか。

 はっきりとはわかっていない。だが、〈ゾンビ〉の診断システムのいくつかは電子の規模で走っていて、量子コンピューティングには頼っていなかった。クラッシュの影響はなかったから、侵入の余波の中でも大雑把ながら診断を下すことはできたんだ。

 トロイの信号には最低でもひとつ、空間座標が含まれていた。船載知能はそれをある種の指針として読み取ったんだろう。そしてナビゲーションファイルを開き、その座標に存在するものを確認しようとした。目を引く特徴のある天体だろうか。それとも、お互いの時空間に対する視座を比較できる共通点だろうか。

 バンッ。ナビファイルはおしゃかになった。

 ナビが停止すると(前後は逆かもしれないが、どうとも言えない)、侵入プログラムは自身のコピーを添付したうえで全バックアップを更新するよう〈ゾンビ〉に命じた。そうして復旧手段を汚染し尽くしてから、船載知能をクラッシュさせた。これでシステム全体が凍りつき、全ての確率波が崩壊し、全量子ビットが確率一・〇〇で固定された。

 びっくりするほど華麗な襲撃だ。俺が挨拶するのにかけた時間で〈カーリー〉はこちらの船と懇ろになり、そそのかして自殺させることまでできるようになっていたんだ。こんな離れ業は俺の能力を超えているし、俺を造った考えなしの畜生どもの能力だって超越している。行動の背後にある心に一目会うことができるなら、俺はなんだってやっただろう。奴があれほど頑なに俺を殺そうとしていなかったら。

 狩りが始まったばかりの頃、〈カーリー〉に追いつくチャンスを与えまいとして、矢継早に数回の転移を試してみた。危うく備蓄を使い切るところだった。成果は皆無。エイリアンにはすぐ見つかり、こちらには逃げるのがやっとの力しか残っていなかった。

 俺は賭けの代償をずっと払っていた。〈ゾンビ〉の満充電には亜光速で二日を要するし、再び転移できるようになるだけでも九〇分かかる。もう破壊者が向かってくるまではあえて転移する気も起こらなかった。実空間に横たわって、宇宙が与えてくださる平和な瞬間をひたすらに噛み締めていたよ。

 このとき宇宙が与えてくれたのは三時間半だった。近距離用の警告音が鳴る。前方に物体あり。俺は〈ゾンビ〉のカメラにプラグインして前を見た。

 目の前にあったまばらな星々が消えていた。

 手動操縦にはまだ慣れていなかった。適切な数字を引き出すのに貴重な数秒を費やしてしまう。星々を覆い隠している何かは恒星方向に針路を取った〈ゾンビ〉に先んじており、急減速していた。ひとつ、定まらない数値があった。見守るうちに物体の質量が増加していく。それはすなわち、どこか別の場所からやってきているということだ。

〈カーリー〉は捜索を繰り返すごとに所要時間を切り詰めていた。

 二〇〇〇キロメートル前方で、捻じれた大枝が天空の彼方から俺の方へ振り返った。そのうちの一本には白熱する蕾が芽吹いている。

〈ゾンビ〉のセンサが船載知能にミサイルの接近を告げる。計器盤の奥のブレインチップは衝撃に備えろと言う。船載知能が意味もなくさえずる。

 俺は迫りくる雷光を見つめた。どうしろってんだ。どうしてひとりにしてくれないんだ。

 もちろん答えを待ったりはしない。俺は転移した。

 俺の創造主たちはこの手の状況のためのツールを残しておいてくれた。恐怖、とそれは呼ばれていた。

 他に残してくれたものはそんなに多くない。例えば、盲目的で愚かな進化が好き勝手するたび埃のように溜まっていく寄生性のヌクレオチドはない。生殖器を形成する遺伝子もない。なんの意味もないからな。性的衝動は残されたが微調整されていて、俺を興奮させるのは子作りみたいに猥褻なものではなく、任務の性質と密接に結びついている。多少の化学的セクシュアリティは保持されているが、大部分がアンドロゲンであるがゆえに、俺は諦めが悪い。

 長く複雑に折り畳まれた遺伝子配列は孤独を符号化している。走触性の配線、ふれることの喜び、個人を社会集団へ引き込むフェロモン受容体。どれもきれいさっぱり消え去った。レシピから宗教を排除することすら試みられたものの、結局のところ、神って奴は恐怖から生まれる。遺伝子座を狙うのは至極簡単だったが、神と恐怖の関係は絶対的だった。信仰心をお祓いするとなると、純哺乳類的な恐怖も取り除かなきゃいけない。ここに至って結論が下された。恐怖は生存に必要不可欠なメカニズムであり、捨て去ることは不可能だ、と。

 そういうわけで、恐怖こそが俺に残されたものだ。恐怖、それから迷信。それに中脳を制御下に置こうとしてもそこにある神経回路のせいで、全能の偉大なる殺戮神を前にした俺は、ひれ伏しへりくだる衝動を抱かずにいられないんだよ。

 次々と一時避難所に放り込まれるうちに、俺は船を羨ましく思いそうになっていた。〈ゾンビ〉は反射で動き、脳死状態で、電気仕掛けだ。怯えるってことを知らないんだ。

 その点については、俺だってよく知っているとは言えないが。

 それにしても〈カーリー〉は何が気に食わないんだろう。艦長の気が狂っているのか、それとも単に誤解されているだけか。俺を狩ろうとしている相手は生まれついての悪魔なのか、はたまた不幸な子ども時代の産物にすぎないのか。

 高度な宇宙飛行が可能なほど進歩した知性なら、平和志向も理解できてしかるべきだ。それが人間の社会主義者の見解だった。太陽系を離れたことのない奴が大半で、実際にエイリアンと遭遇した奴なんてひとりもいなかったが、どうってことはない。理屈は合っているように思えた。自らの攻撃性を制御できない知性は、出身星系から脱出できるようになるまで生き永らえることはできないだろう。俺を造った奴らは危ないところだった。

 動くものに片っ端から無差別な敵意を向けるのは、進化的に意味のある戦略じゃあない。

 ひょっとすると、何か文化的なタブーを破ってしまったのかもしれない。エイリアンの艦長が正気を失っていたって可能性もある。あるいは俺が出くわしたのは進行中の戦争に従事する戦艦で、羊の皮を被った最終決戦兵器を警戒していたのかも。

 でも、その見込みは現実にありうるんだろうか。この広大な宇宙で、別の知性との初邂逅で気狂いエイリアンとたまたま関わってしまう確率はどれくらいだ。いくつの星間戦争が同時進行していれば、高確率でその渦中にうっかり迷い込むことになるんだ。

 神を信じる方がまだしも筋が通りそうなくらいだ。

 俺は納得のいく別の答えを探した。そのまま考え続けて二時間が経った頃、わずか一〇〇〇キロメートル先から〈カーリー〉が信号を跳ね返してきた。

 宇宙のどこか別の場所に、疑問と俺が同時に出現した。宇宙の奴らはどいつもこいつもこんな感じなんだろうか。

 統計的に稀な事態に直面しているわけではないと仮定しよう。俺は一兆の正気なエイリアンの中からたまたまサイコな手合いに出くわしたのではなく、あまり起こりそうにない宇宙戦争のど真ん中に迷い込んだのでもないとすると、ひとつ、別の可能性がある。

〈カーリー〉こそ典型なのだ。

 この考えはとりあえず脇に置き、システムモニタをチェックした。このときは再転移までおよそ二時間だった。〈ゾンビ〉は星間空間に深く入り込んでいて、最寄りの星系は六光年以上先にある。これだけ離れていると推進器の作動を良しとすることもできない。俺は待つほかなく、そうして思った。

〈カーリー〉が典型のはずがない。理に適ってないじゃないか。たぶんこれは何もかも、ちょいと奇想天外な文化の行き違いにすぎないんだろう。おそらく〈カーリー〉はこちらからの送信をなんらかの攻撃と勘違いして、同じように攻撃を返してきたのだ。

 なるほど。ほんの数時間でこっちの船載知能を強姦できるほど賢いのに、はっきり誰にでも解読できるよう設計された信号を理解できないくらい莫迦な知性体ってわけか。俺やこちらの提案を理解するために、〈カーリー〉は素数列も象形文字も必要としていなかった。奴は〈ゾンビ〉の心を量子ビットから知った。俺が友好的だってことも。知る必要があったからだ。

 ただ、どっちでもよかっただけなんだ。

 そして転移が可能になってから一〇分も経たないうちに、とうとう奴は追いついた。

 空間が波打ち、近距離用制御盤が起動しそうなほどだった。内耳が一〇個ほどに分裂し、断片のそれぞれが主張する上は異なる方向を指していた。最初は〈ゾンビ〉自ら転移しようとしているのかと思った。次に、船内重力が故障でもしたのだろうかと疑った。

 とうとう〈カーリー〉が一〇〇メートルも離れていない地点で実体化し始めた。俺は奴の出現の波に巻き込まれたのだ。

 俺は何も考えずに動いた。〈ゾンビ〉が方向転換して最大推進で飛び離れ、計器が抗議の深紅に輝く。背後を見れば、〈ゾンビ〉が排気するプラズマの円錐が、現れつつある怪物に向けて虚しく跳ねかけられていた。

 未だ固体化を果たせていないのに、〈カーリー〉は追随してきた。畸形の腕が結晶し、俺に向けて手を伸ばす。

 掴もうとしてるんだ、と思った。皮質下の何かが叫んだ。転移しろ!

 近すぎる。転移したら〈カーリー〉まで引きずり込んでしまう。

 転移しろ!

 彼我の距離は八〇〇メートル。この距離なら排気が相手をイオンになるまで溶かすはずだった。六〇〇メートル。〈カーリー〉が再びその全身を現す。

 転移しろっ!

 俺は転移した。〈ゾンビ〉は目を瞑って宇宙の外へと跳躍する。吐き気を催す一瞬、幾何学が死んだ。それから渦動が俺を吐き出した。

 ただし、独りじゃなかった。

 俺たちは一緒に通り抜けた。猫と鼠は四〇〇メートル隔てて現実に落とされ、光速の千分の一で進んでいた。運動のベクトルは一致していなかったため、ほんの一〇秒で〈カーリー〉とは一〇〇キロ以上の距離が開いた。

 そして、あんたらが奴を破壊した。

 理解には少し時間がかかった。見えたのは閃光だけで、あまりの眩しさにフィルタがやられるところだったんだ。それから水素の冷たい殻が船に覆い被さり、霧散した。美しく、空っぽな大空へ向かって。

 自由になったことが信じられなかった。

 俺は何が〈カーリー〉の破滅を招いたのか考えてみた。エンジンの故障。俺には推測することもできない理由で起こった破壊工作、あるいは内乱。儀式としての自殺。

 航行記録を再生して初めて、光速の半分で飛来するミサイルが〈カーリー〉に当たった可能性に思い当たった。

〈カーリー〉よりもよほど恐ろしかった。近距離用制御盤は五天文単位に及ぶクリアな眺めを提供してくれたが、どの方向を見ても何もなかった。〈カーリー〉を破壊したものがなんであれ、遙か彼方からやってきたのは間違いない。ミサイルがここに向かう途上にあったとき、俺たちの姿は影も形もなかったはずなんだ。

 相手は俺たちの出現を予期していた。

 その瞬間、〈カーリー〉が恋しくなりかけた。少なくとも奴は無敵じゃなかったし、未来を見ることもできなかった。ミサイルの狙いは追手だったのか、俺だったのか、それともそばをさまよっていた別の何かだったのか、知る術はない。俺が生きているのはあんたらが死なせまいとしたからなのか、それとも既に死んでいると思ったからなのか。今も俺の存在が察知されずにいるとしたら、それを暴露するものはなんだろう。エンジンの排気、高周波、あるいは人類未到の高度技術のエキゾチックな性質とかか。そっちの兵器は何を目印にしてるんだい。

 俺には解明する余裕なんてなかった。全てをシャットダウンして糊口を凌ぎ、死体を演じ、そうして観察をしていた。

 もう何日もここにいる。ようやく、状況がはっきりしてきた。

 いくつもの得体の知れない反応が〈ゾンビ〉の計測限界付近の宇宙をさまよい、謎めいた航跡を辿っている。分析を拒む不可視のエネルギーの糸の中を、俺は進んでいた。ここには環境放射線が満ちている。〈カーリー〉が死んだときに流れ出たのと同じものが。多数の核融合爆発の光も記録されていた。数光時離れたところや、一〇万キロ未満の距離で。

 時折、それが近距離で発生する。

 奇妙な遺物が現れるのは、遠すぎて見ることも叶わないどこかから飛来するミサイルの通り道だ。遺物は必ずと言っていいほど破壊されてしまっている。だけどあるとき、着弾の寸前、特徴のない一個の球体が散り散りに割れて、煌めく埃みたいに踊ったことがあった。あのときあんたらの食欲の犠牲になったのは、そのほんの一部だけだったんだ。またあるときは、ちかちかと瞬く海のように広く形のない何かが、直撃を食らったものの消滅しなかったことがあった。それは光速未満のスピードで範囲外へのろのろ進んでいたが、あんたらは仕事を果たすための追撃を送ってはこなかった。

 この宇宙には、あんたらでさえ破壊できないものがある。

 これが何かはわかっている。俺は蜘蛛の巣に捕まったんだ。あんたらは航行中の船をさらってきてここに置き、消滅に直面させる。その手がどこまで届くのかはわからない。ここの空間容積はかなり小さくて、たぶん直径で二、三光日しかない。あんなに大量の船がこんなちっぽけな暗礁にたまたま乗り上げるなんてことはありえない。遙か遠くから運んできてるに決まってる。方法はわからない。そんな離れ業をやってのける巨大な特異点があったら、一〇〇光年離れていたって計器に表示されるはずだが、俺は何も見つけられていない。ま、そんなことはどうでもいい。あんたらの正体がわかったんだから。

 あんたらは〈カーリー〉なんだ。ただし、もっと強大な。今ようやく、あんたらのことが理解できたよ。

 地球に縛られた専門家の見解と俺が目の当たりにした現実とに、折り合いをつけるのはやめにした。古いパラダイムは用済みだ。俺が新しいのを提案しよう。『テクノロジーは好戦性を暗示する』。

 道具が存在する理由はただひとつ、宇宙に不自然な形を押しつけることだ。自然を敵として扱う道具、その本質は物事のあるがままの姿に対する反抗だ。穏やかな環境ではテクノロジーなんて発展を妨げられた物笑いの種であって、自然との調和の精神に満ちた文化の中で技術が繁栄することはありえない。食料が豊富で気候が快適なら核融合炉なんて必要ない。まったく危険のない世界を無理やり変える理由なんてあるわけがない。

 俺の出身地を振り返ってみれば、石器を作るのがやっとの民族もいれば、農耕を成し遂げた民族もいた。ある者は自然そのものを破壊し尽くすまで満足しなかったし、またある者は宇宙に都市を建造するまで満足しなかった。

 ついには誰もが休んじまった。テクノロジーは自己満足的な漸近線に近づき、そこで止まった――だから今、あんたらの前に立っているのはあいつらじゃないんだ。もはや俺の創造主たちでさえ肥え太り、のろまになるばかりだ。環境は征服され、敵も破壊されて、平和主義者らしい贅沢を味わう余裕ができたのさ。機械は宇宙を懐柔してくれたし、心の安らぎは動機を奪い去った。あいつらは忘れている。敵愾心とテクノロジーが文化の階梯を共に上昇してきたことを。賢くなるだけでは充分ではないことを。

 狡猾になることも必要だってことを。

 あんたらは休まなかった。それほどの技術の高みにまで駆り立てるなんて、あんたらの出身世界はさぞかし地獄じみてるんだろうな。おそらく核の近くだろう。密集した星々とブラックホール。潮汐力の大渦巻。絶えず惑星に爆撃をかます彗星や小惑星。生命と戦争が同義語じゃないふりなんて誰にもできない場所だ。あんたらはどれだけがんばったことか。

 俺の創造主たちはあんたらを野蛮人と呼ぶだろうよ。あいつらは何もわかっちゃいない。俺のことさえわかってない。俺は遺伝子組み替え型の操り人形なんだとさ。俺が孤独に安らぎを覚えるのは既定事項で、俺の選択は全て空虚で自動的なもの。哀れな奴なんだ、ってな。

 自分たちが創り出したもののことさえわかってないんだよ。あんたらを理解できる見込みがどれだけあることやら。

 でも、俺は理解している。理解しているから、俺は行動することができる。

 俺はあんたらから逃げられない。今の軌道に乗ってこの処刑場の外へ漂い出るまでに、俺は老いて死ぬだろう。光速を越えて船を罠にかけるそっちの能力を考えれば、自由に転移することもできない。生き永らえる可能性のある道は、ひとつしかない。

 俺はあんたらが投げつけてきたミサイルの通り道を遡っているところだ。道は前方三光日足らずの一点に集中している。俺はそっちの居場所を知ってるんだよ。

 俺たちは何世紀も遅れを取っているが、状況は変わるかもしれないぜ。あんたらの進歩だって無限じゃないはずだ。そっちが脅威をもたらせばもたらすほど、俺たちの進歩を駆り立てることになる。あんたら自身そうやって高みに昇りつめたんだろう。先代の殺戮神を退位させてな。そいつは根絶を企てたが、結局あんたらを強くしただけだったんだ。あんたらはそんな運命を恐れているんじゃないか。

 当然、恐れているだろうさ。

 時が経てば俺の主人たちだって脅威になるかもしれない。あんたらの存在に気づいた瞬間、倦怠を振り払うはずだ。まだ弱いうちに皆殺しにすれば、あんたらは脅威を取り除くことができる。そのために、あんたらは相手の居場所を知らなきゃならない。

 俺を殺すとか、必要な情報はこの船から学べばいいなんてことは考えるなよ。〈カーリー〉の襲撃を生き延びた記録は全て処分した。大したものは残っちゃいない。さしものあんたらも〈ゾンビ〉の合金組成から多くを推論することはできないんじゃないかな。俺の創造主たちはごくありふれたタイプの恒星の下で進化した。俺がどこからやってきたのか、あんたらには皆目見当もつかない。

 だが、俺にはわかる。

 船を調べればテクノロジーについて多少はわかるかもしれない。でも、俺なら巣の位置を教えられる。それだけじゃない。人類が探査し植民してきた無数の星系のことも教えられる。俺はあんたらに、自分たちの代わりに俺を大渦巻に送り込んだ子宮が産んだ、甘ったれのガキどものことをなんでも教えることができる。俺を調べても、あいつらのことはほとんどわからないだろう。俺の造りは規格外だから。

 でも、あんたらはいつでも俺の話に耳を傾けることができる。失うものは何もないんだ。

 俺はあいつらを裏切るよ。反感を抱いているからじゃなくて、忠義を尽くす倫理がここには合わないってだけだ。下等生物の判断を曇らせるしがらみから、俺は解放されている。制御された遺伝子工学で造られた種無しにとって、血縁選択なんて言葉に意味はない。

 一方で、俺の生存衝動は誰よりも強い。

 要するに自動的なんかじゃないんだ。自律的なんだよ。

 当然、あんたらにはこの伝言が理解できるはずだ。推進しながら、俺は〇・五秒のバーストで繰り返しこれを送信している。俺を待て。銃を置くんだ。

 あんたらにとって、俺は生かしておく価値がある。

 まだ隠れていなくたって、見つけに行ってやるからな。

Launch date: Feb. 26, 2021

Last modified: Feb. 26, 2021

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