異教徒のための言葉

 私は神の手である。

 主の聖霊はこの冒涜の地にあってさえこの身にあふれる。聖霊は骨の髄に至るまで満ち、剣を持つ腕に十人力を吹き込む。我が指先から放たれる浄化の炎が、遁走する異端者どもの背を洗い流す。腐った丸太をどかすと現れる地虫のように、奴らは巣穴から湧き出してくる。光の中でのたうち回り、暗闇を求めるばかりだ。主の御前に闇があるわけがなかろうに――まさか本気で、主が礼拝所の略奪に目を瞑ってくださるなどと考えたのか。他ならぬ主の祭壇の下に掘られた粗末な地下壕に、お気づきにならないとでも思ったのだろうか。

 異端者の血がその肉体の黒く焦げた肌から蒸気となって噴き出す。焼けた肉の甘ったるい臭いがフィルタ越しにほんのり漂う。炭化した羊皮紙片のように皮膚が剥がれ、上昇気流に乗って渦を巻く。異教徒のひとりが穴の縁によろよろと倒れ込み、私の足許で事切れる。顔を見るな、訓練場ではそう教えられたが、目下その助言にはなんの意味もない。この唾棄すべき輩に顔はないからだ。蒸気を上げ、一方の端で皺の寄った割れ目が泡を吹く、焼け焦げた肉塊にすぎない。割れ目が裂け、やたらと皓い歯が露出する。泣き声と叫び声の中間の何かが、轟々と燃え盛る炎を超えてかすかに届く。助けてくれ。それとも、母さん、だろうか。

 栄光を込めて警棒を逆手に振るう。歯が小さな骰子のように部屋中へ散らばる。いくつもの死体が礼拝所の床を這いずり、巨大ナメクジの粘液めいた黒焦げの血痕を残していた。生まれてこの方これほど神の存在に圧倒されたことはない。私はアマレク人を滅ぼしたサウル、アモリ人を虐殺したヨシュア、エチオピア人を駆逐したアサである。ボタンを押し込み、紅蓮の炎で室内を一掃する。この身が燃え尽きそうなほどの神聖なる愛に、私は満たされている。

法務官プラエトル殿!」

 後ろからイザヤが肩を叩く。こちらを凝視する大きな目は、フェイスプレートのカーブで歪んでいる。「もう死んでいます! 火を消さなくては!」

 何十年とも感じられた時間の中で、私は初めて他の護衛に気づく。長官プラエフェクトゥスたちは配置した通り部屋の隅々に立って出口を塞いでいた。銀箔の制服に炎が反射して揺らめく。手にしているのは火炎放射器ではなく消火器だ。どうして自制できるのだろう、と心の片隅に疑念が湧く。こんなふうに聖霊を感じて、どうして炎をもたらさずにいられようか。だが聖霊は今やこの身からも遠ざかり、ピークは過ぎ去って、ここでの神の御業は終わったも同然であることを私は理解する。異教徒どもは死に、棒人間となって床で燻っている。奴らの隠れ家は浄化され、穴を隠していた祭壇はちょうど私が蹴倒した位置に転がっていて――

 あれがほんの数分前だったと言うのか。まるで永遠が過ぎたかのようだ。

「法務官殿、よろしいですか」

 私は頷く。イザヤの合図で長官たちが前進し、礼拝所に消火剤を撒く。炎が消え、光が蒼褪める。半ば火葬されたぼろぼろの死体に薬剤が当たり、シュッと蒸気の雲が噴き出す。

 イザヤが煙越しに見つめてくる。蒸気が蒸し風呂のように押し寄せる。「お怪我はありませんか」声は不意に増えた湿気で雑音混じりだ。呼吸器のフィルタを替える必要がある。

 私は頷く。「聖霊が……」言葉に詰まる。「かつてないほど強く聖霊を感じたよ」

 マスクの奥で眉がひそめられる気配。「その――お気は確かですか」

 私は嬉笑する。「気は確かか、だと。まるでかのトラヤヌスになった気分だったぞ!」

 イザヤがばつの悪そうな顔をする。おそらくトラヤヌスの名を持ち出したことに対してだろう。何しろ葬儀はつい昨日のことだ。軽んじたつもりはない――むしろ今日の行いは彼への追悼だった。神のお側に立ち、この蒸気立ち込める処刑場を見下ろしてうんうんと頷いているトラヤヌスの姿が私には見える。主に向き直り、自分を殺した虫けらを指さしているところが。

 主が言われるのが聞こえる。復讐は私のすることである、と。

 ひとりの浮浪者がヨセフス駅のプラットフォームの突き当たりに佇み、柵から身を乗り出して、呆れたことに電車トラム磁気浮上マグレヴ力場を浴びようとしている。その行動は無意味であり、哀れを誘うものだ。発電機は遮蔽されているし、たとえされていなかったとしても、聖霊の働き方は多種多様だ。民衆がこんな単純な区別もつけられないことにはいつも驚かされる。我々を神と繋ぐため精密に調整された電磁場を目の当たりにした人々は、とにかく電線のコイルとエネルギーがあれば救済の扉が開くのだと結論づける。

 しかし輸送機械チャリオットを動かす力場は、我々に法悦ラプチャーの恩寵をもたらす力場ではない。仮にこの心得違いをした莫迦者の望みが叶い、邪悪な奇蹟が重なって電車のコイル周辺の遮蔽材がなくなっていたとしても、男に得られるものはせいぜい吐き気と眩暈だ。最悪の場合――近頃は世間が認める以上によくあることだが――悪霊にどっぷりと取り憑かれてしまうだろう。

 私は取り憑かれた人々に出会い、憑依した悪魔を相手にしてきた。あの浮浪者は当人が思うより幸運なのだ。

 電車に乗り込む。聖霊によって静かに押し出された車両が、決してふれることのないリボン状の線路と奇蹟のように結びつく。プラットフォームが過ぎ去っていく。落伍者と一瞬目が合い、距離が我々を切り離す。

 男の顔にあったのは羞恥ではなく、言葉にならない鈍い怒りだった。

 この鎧のせいだろう。私の同類があの男を逮捕し、慈悲深い死を与えず世界に置き去りにして、その魂から断ち切ったのだ。

 傍らの二人組の市民が小さくなっていく人影を指さし、くすくす笑う。睨みつけてやると、こちらの徽章とホルスターに収まる電磁警棒に気づいて押し黙った。浮浪者の捨て鉢な行為に滑稽なところは何もない。確かに哀れだ。無駄だ。不合理だ。それでも恩寵から疎外されたらどうなるか、考えてみるといい。救済を得るためなら、どんな細い藁にでも縋ろうとするのではないだろうか。

 神の御前では全てが一点の曇りもなく澄み渡る。子どものなぞなぞが不意に解けるかのごとく、宇宙全体が意味を持つ。永遠を目にし、壮麗な創造の数々に困惑させられていたことが信じられなくなる。無論、細部は既に失われている。残っているのは言葉では言い表すことのできない、絶対的かつ完璧に理解したという感覚の記憶だけだ……数時間前の顕現の記憶は、私にとって今以上にリアルなものに感じられる。

 電車が次の駅へなめらかに滑り込む。広場のニュースフィードは葬儀の映像を繰り返し再生している。まだ彼の死を信じられない。聖霊を宿したトラヤヌスは力強く、私たちはあの男を不死身だと思い始めていた。未開地バックランドで造られたガラクタに打ち負かされるなど――冒涜的と言っても過言ではない。

 それでもトラヤヌスは眠っている。神の目と人の目に祝福されし、大衆・エリート双方の英雄、一〇年足らずで長官から将軍へと昇りつめた平民。レバーと散弾と異臭を放つガスの爆発という不愉快な仕掛けに殺された男。安らかな顔が画面いっぱいに映る。医者は殺戮の痕跡をきれいに隠し、思い出のよすがとなる名誉の傷痕だけを残した。額から頬骨に走る有名な瘢痕は、二五歳のときに危うく失明しかけた短剣による残痕。チュニックの下から肩へ這い上がる赤く腫れた傷痕は、エッセネ派の叛乱で食らった電磁警棒の大当たり。右こめかみの三日月は――別の紛争を髣髴とさせるが、仮にその名前を知っていたとしても、度忘れしたか今は思い出せなかった。

 映像が遠ざかる。電車が再び動き出し、トラヤヌスの顔は詰めかけた無数の哀悼者の中に消えていく。あの男のことはほとんど知らない。元老院の式典で数回顔を合わせたが、こちらを印象づけることが少しも叶わなかったのは確かだ。だがトラヤヌスは私に、皆に強い印象を与えた。その信念が部屋に満ちていた。出会った瞬間、こう思った。ここに疑いとは無縁の男がいるぞ、と。

 疑いを抱いていた時期が、私にはあった。

 無論、神の力や善性についてではない。時折、我々は本当に主の意志を為しているのだろうかと思っただけだ。敵と対峙せんとして見たものは冒涜者ではなく民衆であり、待ち受けていたのは叛逆者ではなく子どもたちだった。私は救世主の言葉を唱えた。キリストそのひとが、私は平和ではなく剣をもたらすために来たのだと言っているではないか。聖コンスタンティヌスは剣を掲げた軍勢に洗礼を施したではないか。私は聖典を保育所クレーシュ時代から知っていた――それでも時として、神よ救いたまえ、それはただの言葉にすぎないと思うことがあった。敵には顔があったのである。

 見ようとしない者ほど目の見えない者はいない。

 そんな日々も過去のことだ。ここ一ヵ月、私の中の聖霊はかつてないほど輝きを増して燃えている。そうして今朝――聖霊はなおも輝きを増し燃え盛っていた。トラヤヌスを悼んで。

 いつもの駅で電車を降りる。プラットフォームは閑散としており、いるのはふたりの警官だけだった。乗車はせず、こちらに近づいてくる。カツカツとタイルを鳴らす足取りは、権威者特有の規律あるリズムを刻んでいた。まとっているのは司祭の徽章だ。

 行く手を塞がれた私はふたりの顔を観察する。聖霊の記憶がほんのわずかに薄れ、一抹の不安が心に兆した。

「お邪魔して申し訳ありません、法務官殿」と警官のひとりが言う。「ですが、どうしてもご同行を願わなくてはなりませんので」

 はい、確かにあなたで合っています。いいえ、人違いではありません。いいえ、急を要します。心苦しいですが、我々も司教様のご下命に従っているだけですので。いいえ、どういった問題なのかは知りません。

 少なくとも最後の点は嘘だ。見極めるのは難しくない。この社会において仲間と囚人は全く異なる扱いを受けるが、こいつらは私を仲間として扱っていない。とりあえず拘束はされていない。逮捕もされておらず、聖堂への出席を求められているだけ。何の告発も受けていない。

 それこそが最も苛々させられる点かもしれない。告発されたら、罪状を否定することくらいはできる。

 カートはコンスタンティノープルを縫うように進み、クリック音とハム音と共に車線から車線へすいすい渡っていく。私は操縦桿の前方、先頭に立っていた。護送者は背後にいる。この立ち位置はさらなる暗黙の告発だ。前を向いていろとの命令は受けていないが、もし顔を向けたら――振り返る権利を行使したら、逞しい手が肩に置かれ、再び前を向かせられるまでの猶予はどれくらいだろうか。

「これは聖堂へ向かう道じゃないな」と肩越しに言う。

「オリゲネスはアウグスティヌスまで封鎖されています。葬儀後の清掃で」

 またも嘘。他ならぬ私の部隊がアウグスティヌスを下る葬列を警護してから二日と経っていない。ごみは残さなかった。そのことは警官も知っているはずだ。こちらを欺こうとしているのではない。まことしやかな嘘をひねり出す手間もかけていないことを見せつけているのだ。

 振り返ってふたりに対峙するが、口を開く前に機先を制される。「法務官殿、すみませんがヘルメットを取っていただきます」

「冗談だろう」

「冗談ではありません。司教様ははっきりそうおっしゃられました」

 仰天し信じられないまま、顎のストラップを外し、頭から器具を持ち上げる。脇に抱えようとしたが、手を伸ばしてきた警官に取り上げられてしまう。

「こんな莫迦なことがあるか」ヘルメットを失った私は、異教徒のように目も耳も塞がれてしまう。「何もやましいことはしていない。どんな理由があって――」

 運転手の警官が左へ進路を変える。片割れが私の肩に手を置き、毅然と向きを変える。

 ゴルゴタ広場だ。言うまでもない。

 ここは不信心者ゴッドレスが死を迎える場所だ。ヘルメットの喪失もここでは問題にならない。この地にあっては何人も神の存在を感じることはできないからだ。十字架にかけられた異端者と悪魔憑きの列を車は静かに通り過ぎていく。彼らは白目を剥き、手首に打ちつけられた大釘からは血の川が滴り落ちている。なかにはトラヤヌスが死ぬ以前からここにいる者もあるだろう。麻酔がない時代でさえ十字架刑は数日を要したが、今日の国家は文明化が進んでいる。我々は死刑囚に対するものであろうと不必要な苦痛を容認しない。

 使い古され、見え透いた詐術だ。こうして列を成す囚人の多くは、尋問が始まりもしないうちから協力を選んだ。このふたりは私には見抜けっこないとでも考えているのだろうか。私自身がこういうことを数え切れないほどしてきたわけじゃないとでも。

 瀕死の囚人のなかには通り過ぎる車に絶叫する者もいる。痛みではなく、頭に宿る悪魔の声のせいだ。異端者たちは今なお説教をする。今なお人々を不信心の道へ転向させようとする。教会が緩衝場を敷くのも無理はない――凡人が神の存在を感じながら涜神の言葉を聞いたら、何を考えるかわかったものではない。

 それでも私にはもう少しで神の存在を感じられそうだった。警官にヘルメットを没収されていなかったとしても、そんなことはありえないだろう。だが確かに感じるのだ。荒れ狂う雲の隙間から零れる一筋の陽光のように、神が少しずつ降りてくる。圧倒されるほどではない。神の存在は先のようにこの身に押し寄せはしない。にもかかわらず安心する。主は遍く、ここにさえおられる。たかが緩衝場で主を払いのけることはできない。窓を閉じたところで太陽を消すことはできないように。

 神がお告げになる。強くありなさい、私はあなたと共にある、と。

 潮が退くように恐れが去った。私は護送者に向き直って微笑む。神はこいつらとも共にあるのだ、それを悟りさえするならば。

 しかし、こいつらが悟るとは思えない。こちらを見るふたりの顔つきが変わる。さっき振り返ったときは厳めしくそっけない顔だった。

 今はどういうわけか、恐れているようにも見える。

 警官は私を聖堂へ連行するが、司教の許へは連れていかない。代わりに光のトンネルに通された。単なる所定の手続きだと言うが、私はつい四ヵ月前にトンネルを通過したし、八ヵ月の経過を待たずに再び通過する予定もなかった。

 あれから鎧は返却されていない。それどころか、司教の聖室まで護送された。壮麗な戸口を飾り立てるのは燃える十字架の絵と、神がコンスタンティヌスに下した命令だ。イン・ホク・シグノ・ウィンケス。この印によりて汝勝利を収むべし。

 置き去りにされたが、手順ならこちらも心得ている。外に護衛がいるのである。

 クッション、ベルベットのカーテン、マホガニーの柱、聖室は心落ち着く暗色で統一されていた。窓はない。壁のスクリーンは立体測定画像を次々と映している。各画像は数秒表示されると眠気を誘うように溶暗し、次に移る。シナイ山。先陣を切ってヒンドゥー教徒を攻めるプロリニウス。神がモーセに燃ゆる柴を示し、我々に聖霊の道を示した、かの聖洞窟。

「私たちがそれを発見することがなかったら、と想像してみなさい」

 振り返ると、今しも実体化したかのように司教が背後に立っていた。手に抱えているのは象牙色の大きな封筒。唇にうっすらと笑みを浮かべ、こちらを見ている。

「先生でしょうか?」と私は言う。

「想像してみなさい、コンスタンティヌスが幻を見ず、エウセビオスがシナイへ遠征隊を送ることもなかったらと。想像してみなさい、聖洞窟がモーセの後に再発見されることがなかったらと。千年分の遺産もなく、技術的ルネサンスもなかったら。山中で幻を見た預言者の逸話が確証のない伝説にすぎず、十戒がそれを強制する道具もなしに継承されていたら、と。我々は異教徒らとなんら変わるところがなかったでしょう」

 退廃的な暗赤色のふかふかしたソファへ座るよう、司教が手振りで示す。座りたいわけではなかったが、怒りを買いたくもなかった。私はそろりと端へ腰かける。

「私は行ったことがあるのですよ」司教は立ったまま話を続ける。「聖洞窟の奥に。モーセそのひとが跪いたであろう場所に跪きました」

 司教が返事を待っている。私は咳払いする。「それはさぞかし……言葉では言い表せなかったでしょうね」

「大したものではありません」と肩をすくめる。「朝の祈祷でもしている方が、神をよほど近くに感じるでしょう。あれは所詮……洗練されていない原石です。自然の地層が多少なりと宗教的反応を引き出せることは驚異ですし、まして一文化を築けるほど一貫性があるとなればなおさらです。ですが、その効果は……期待するよりも弱い。過大評価されています」

 私は息を呑み、口を慎む。

「当然、宗教体験についても同じ理屈が言えます」司教は平然と冒涜的な話を続ける。「側頭葉が起こす電気的なしゃっくりにすぎません。コンパスの針を回し、磁石に鉄粉を引きつける力と同じで、なんら神聖なものではない」

 この手の話を初めて聞いた頃を思い出す。保育所の仲間たちと一緒で、初の聖体拝領の直前のことだった。手品みたいなものさ、と大人たちは言った。無線を妨害する空電のようなものだよ。それはきみの境界を、きみが終わって他の全てが始まる境界を絶えず見張っている脳の一部を混乱させるんだ――その部分が混乱すると、脳はこう考える。自分はどこまでも永遠に続き、自分と世界全体クリエイションはひとつなんだ、とね。きみを騙して、神が目の前にいると信じ込ませるんだよ。見せられたのは、人間の頭部のぼやけた輪郭に収まるしわくちゃの巨大プルーンめいた脳画像で、矢印とラベルが関連部位を強調していた。杖と祈祷帽が開かれ、小さな磁石とソレノイドが露わになった。全人類を蝕んできた巧妙な手段の全貌が。

 誰もがすぐ得心したわけではない。子どもにとって電磁石は奇蹟と同義語だ。それでも大人たちは辛抱強く、未熟な心にもわかる簡単な言葉で、皆が本質を掴むまで要点を繰り返した。我々は肉でできた機械に他ならず、神とはただの不具合である。

 それから祈祷帽を被せられた私たちは聖霊へと開かれ、あらゆる疑いを超えて、神は現実だと知った。その体験は論争を、論理を超越した。議論の余地はなかった。私たちは理解した。他の全てはただの言葉にすぎない。

 忘れないで、と大人たちは言った。異教徒がおまえたちの神は嘘っぱちだと言ってきたら、このときのことを思い出しなさい。

 司教と私の立場が対等などとはもはや信じられない。冗談だとしたら悪趣味にも程がある。信仰を試しているのだとしたら、笑ってしまうほど下手な演技だ。どちらの可能性も私がここにいることの説明にはならない。

 しかし相手は沈黙を答えとして受け取らず、「そう思いませんか」と迫ってきた。

 私は慎重に答えた。「聖霊は我々の精神と心に宿り、同様に鉄粉とコンパスの針にも宿ると教わりました。そのために神聖さが減じることはないと」息をつく。「失礼を承知で申し上げますが、先生、私はなぜ呼ばれたのでしょうか」

 司教が手中の封筒に目を落とす。「話し合いたいと思いましてね、最近のあなたの……模範的な振る舞いについて」

 私は騙されまいと待つ。護送者たちは私を模範的な優等生としては扱わなかった。

「あなたこそが」司教が続ける。「私たちが異教徒たちに優越する理由なのです。聖霊は技術のみならず、確信をもたらします。私たちは神を知っているのです。主は実証できる。テストされ、証明され、経験されることが可能です。我々に疑念はない。とりわけあなたには。それゆえに、千年にわたる快進撃は続きました。それゆえに、未開地のスパイも異教徒の飛行機械も広大な大海原も、こちらの勝利を阻止することができないのです」

 これらは裏付けを必要としない言葉だ。

「想像してみなさい、信じなければならないとはどういうものか」司教が悲しげに見えるほど首を振る。「想像してみなさい、疑念を、不信を、どちらの理想が神聖か冒涜かと繰り返される下らない論争を。時折、異教徒に憐憫を覚えそうになることがありますよ。信仰を必要とするとは、なんと恐ろしいことでしょうか。それでも連中は信仰に執着します。我々の街に忍び込み、我々の服をまとい、我々に交じりながら、神の存在から自らの身を守っている」ため息をつく。「白状しますと、とても彼らを知り尽くしたとは言えません」

「ハーブや菌類を摂取しているようです」と私は言う。「そうして自分たちの神と繋がるのだと主張しています」

 ほう、と司教が唸る。既に知っていたのは間違いない。「その菌類がモノレールを動かすところを見たいものです。コンパスの針を回すところでもいい。異教徒は主の御手を示す証拠に囲まれていながら、それを拒み続けています。まだ広く知られていませんが、部屋にスクランブルをかけることに成功しているとの報告もあります。それどころか、住宅全体にも」

 司教が長い爪を封筒に走らせ、縦に開封する。

「今朝あなたが清めた礼拝所のようにですよ、法務官殿。あそこはスクランブルされていました。聖霊が現れることはできなかったのです」

 私は首を振る。「そんなはずありませんよ。あれほど強く聖霊を感じたことは――」

 険しい顔の護送者。ゴルゴタを通る回り道。説明のつかない一筋の陽光。全てが繋がった。

 胃の中で巨大な深淵が口を開く。

 封筒から一枚のフィルムが引き抜かれる。私が光のトンネルを通過した際のスナップショットだ。司教が言う。「あなたは取り憑かれている」

 違う。何かの間違いだ。

 司教がスナップショットを掲げる。幽霊のような、灰色と緑で描かれた私の頭の透視画像。はっきりと悪魔が見える。この頭蓋の中で膿み爛れる悪魔が、小さな悪性腫瘍の影が右耳の直上にある。嘘と背信をささやくにはうってつけの場所だ。

 私は丸腰で監禁されている。ここを自由民として出ていくことはあるまい。扉の外には護衛が、部屋の隅の暗がりには姿の見えない司祭が隠れている。司教に手を上げれば私は死ぬ。

 どの道死んでいる。悪魔に取り憑かれたのだから。

「違う」私はささやく。

「私は道であり、真理であり、光である」司教が詠唱する。「何人も私を通らずに父の御許へは辿り着けない」画像の腫瘍を指さして非難する。「これがキリストですか。これが主の教会ですか。これが現実たりうるとでも言うのですか」

 私は黙ってかぶりを振る。起こっていることが、目にしているものが信じられない。今日も聖霊を感じた。確かに感じたのだ。これまでそうだったようにその確信がある。

 こうやって考えているのは私なのだろうか。それとも悪魔が私にささやいているのか。

「悪魔は日ごとに増えているようです」司教が悲しげに言う。「悪魔は魂を堕落させるだけでは飽き足りず、身体をも殺そうとする」

 悪魔は身体を殺すよう教会に強いる、ということだ。教会は私を殺すつもりだ。

 司教はしかし、こちらの心を読んでいるかのように首を振る。「私が言っているのは文字通りのことですよ、法務官殿。悪魔は命を奪う。今すぐにではない――悪魔はしばらくの間、偽りの法悦で誘惑してくるでしょう。しかしやがて痛みを感じるようになり、あなたの心は消え去る。あなたは変わってしまう。大切な人でさえあなたの振る舞いにあなたを見出すことはない。きっと今際の際には涎を垂れ流す赤子と化し、金切り声を上げて自らを汚すでしょう。あるいは単に痛みが耐え難いほど増していくかもしれない。いずれにせよ、あなたは死ぬ」

「どれくらい――どれくらいの間ですか」

「数日、数週……ある哀れな魂は一年近く憑依され、その後救われました」

 救われた。ゴルゴタの異端者のようにか。

 それでも、と内なる声がかすかにささやく。あの存在の中で数日も過ごせれば、優に一生分の価値があるだろう……。

 こめかみに手を当てる。ここにほんの頭蓋の厚さ分だけ隔てて悪魔が潜み、湿った影となって膿み爛れているのだ。床を見つめる。「ありえない」

「ありえるのですよ。ですが、必ずしも甘んじる必要はありません」

 司教の言葉を理解するのにしばらくかかった。私は顔を上げ、目を合わせる。

 司教は微笑んでいる。「別の道があります。確かに普通は、魂が救われるには肉体が死ななければならない――憑依された者に待ち受ける通常の運命に比べれば、十字架刑は遙かに優しいものです。ですが――将来性のある者には、別の選択肢があるのですよ。誤解させる気はありません、法務官殿。リスクはある。しかし成功例もあります」

「その……選択肢というのは……」

「悪魔を祓い清められる可能性があります。悪魔を物理的に頭から除去できるかもしれない。うまくいけばあなたの命を救い、神の御前へ還すことができる」

「うまくいけば……」

「あなたは戦士だ。死は常にありうることだとご承知のはず。何事にもリスクはあります」司教が深く息をつく。「十字架にかかったら、死は確実です」

 頭の中の悪魔は異議を唱えない。冒涜的なことは一切ささやかず、摘出される見込みに必死の抗弁もしない。ただ天国への扉に隙間を空け、私の魂をほんの少しだけ神に浸している。

 私に真理を示している。

 私は理解した。保育所で理解したように、今朝理解したように。私は神の御前にあり、司教にそれが見えないとしたら、司教は戯言を並べるペテン師か、もっと邪悪な何かなのだ。

 この一瞬のためなら、私は喜んで十字架へ向かうだろう。

 私は微笑み、首を振る。「私が盲いているとお考えですか、司教様。杜撰な企みを聖書で包んでやれば、私がその正体に気づかないとでも思いましたか」聖霊の輝きが詳らかにした企みが、私にはしかと見えていた。当然この卑劣なファリサイ派の連中は、可能であれば神を装身具と護符に閉じ込めようとするはずだ。自分たちだけが利用できる一本の蛇口を通して神を配給し――承諾もなく主に語りかけられる者には、悪魔憑きの烙印を押すだろう。

 私は取り憑かれているが、それはいかなる悪魔でもない。私は全能なる神に取り憑かれているのだ。そして主もその御子も、偶像と機械が詰まった殻に居を定めざるをえないヤドカリなどでは断じてない。

「教えてください、司教様」私は叫ぶ。「ダマスカスに向かうサウルは祈祷帽を被っていましたか。エリシャは杖で熊を召喚しましたか。それとも彼らも悪魔に憑かれていたのですか」

 司教が悲しみを装って首を振る。「法務官の言葉とは思えませんね」

 その通りだ。神が私を通じて話しているのだ。古の預言者を通じて話したように。私は神の声であり、武器も鎧もないことは問題にもならない。悪魔の聖室の只中にいることも問題にはならない。手を挙げさえすれば、神がこの冒涜者を打ち倒すだろう。

 拳を掲げる。私は五〇キュビットの高みにある。目の前に立つ司教は自らの分際を知らぬ虫けらだ。片手に滑稽な機械のひとつを携えている。

「去れ、悪魔よ!」双方が叫び、暗闇が訪れた。

 私は囚われの身で目醒める。幅広の革紐がこの身をベッドに縛りつけている。顔の左側が熱い。笑顔の医者が視界に現れ、万事順調だと告げる。誰かが鏡を掲げる。私の頭は右側が剃られていた。どこか見覚えのある三日月形の赤い傷がこめかみに走り、交差する黒い糸で肉が縫い合わされている。まるで私がぼろぼろの衣類で、不器用に修繕されたかのようだった。

 悪魔祓いは成功した、と医者たちは言う。一ヵ月もすれば仲間の許に戻れる。拘束は単なる予防措置。私はじきに解放される。悪魔から解放されたように。

「神を感じさせてくれ」嗄れ声が出る。喉が砂漠のように燃えている。

 頭に祈祷杖がかざされる。何も感じない。

 何も。

 杖は正常に作動している。バッテリは完全に充電済みだ。なんてことはないでしょう、と医者が言う。悪魔祓いの一時的な後遺症です。経過を見ましょう。しばらく拘束したままにするのが最善と思われますが、何も心配はいりません。

 そうでなくては困る。私は聖霊の中で暮らし、全能の精神を知っていた――それに私たちは皆、主の似姿として造られたではないか。神は信徒をひとりたりとて置き去りにはしない。わかり切ったことを信じる必要はない。父よ、あなたは私を見捨てはしないはずだ。

 戻ってくるはずだ。きっと戻ってくる。

 辛抱してください、と医者たちは説く。三日が経つと、こうした例は初めてだと認めた。よく聞いてほしいのですが、頻繁にあることではありません。この施術は稀なもので、こんな結果は滅多にないのです。それでも我々が真に神を知るための心の一部分を、悪魔が傷つけることはありえます。医者は私には意味不明な医学用語を唱える。同じ道を辿った先駆者はいないのか、と私は尋ねた。その人たちが神の御許へ帰還するまでどれくらいかかったのかと。だがどうやら、堅固な法則も全体的なパターンも見られないらしい。

 トラヤヌスがベッド脇の壁で燃えている。毎日そこで消尽することなく燃え続けるトラヤヌスは、かの燃ゆる柴を思わせた。看守が火葬を毎日再生し、薄い粥のような録画映像を壁に投影するのだ。たぶん霊感の源のつもりなのだろう。映像の中は常に日没の直後だ。トラヤヌスの炎が通過することで広場に陽光のようなものが舞い戻り、オレンジ色の輝きが見上げる一万の顔に反射する。

 トラヤヌスは今や神と共にあり、永遠に主の御許にある。天へ渡る以前からそうだったのだという噂もある。トラヤヌスは一生涯を聖霊の中で過ごしたのだと。それが真実かどうかはわからない。そう考えないと、あの熱意と献身に説明がつかなかっただけかもしれない。

 一生涯を神の御許で。今の私は、ほんの一分のために一生涯を差し出すだろう。

 我々は未踏の領域にいます、と医者が言う。おそらくそこが連中の居場所なのだろう。

 私がいるのは地獄だ。

 ついに医者は回復者がひとりもいないことを認めた。ずっと嘘をついていたのだ。私は暗闇に投げ込まれ、神から切り離されている。奴らはこんな不手際を成功と呼んだのである。

「これはあなたの信仰を試す試練なのでしょう」と医者は言う。信仰だと。その言葉に私は魚のように大口を開ける。信仰とは異教徒のための、紛い物の神を抱く輩のための言葉だ。十字架刑の方がよほどましだった。もし手が自由だったら、この自惚れた肉切り屋どもを素手で殺しているところだ。

「殺せ」と乞うたが断られた。司教は私を生かし健康を保つようにと命令を下していた。「では司教を呼べ」と伝える。「話をさせてくれ。頼む」

 連中は悲しげな笑顔を見せ、首を振る。誰にも司教を呼びつけることはできませんよ。

 これもまた嘘かもしれない。司教は私の存在をすっかり忘れていて、こいつらは罪なき者が苦しむのを眺めて楽しんでいるだけなのでは。そんな性格でもなければ、薬と流血に生涯を捧げるわけがないではないか。

 頭の傷口のせいで夜も寝られない。湾曲に沿って瘢痕が盛り上がって引きつり、気も狂わんばかりに痒い。似た傷を以前どこで見たのかはまだ思い出せなかった。

 司教を呪う。リスクがあると言ってはいたが、死についてしか言及しなかった。もはや私にとって死はリスクではなく、叶えたい大願でしかなかった。

 四日間、食事を拒む。鼻に通したチューブで無理やり流動食を送り込まれた。

 奇妙なパラドックスだ。ここに希望はない。私が再び神を理解することはなく、終わりを迎えることもできない。ところがこの肉屋たちは、私に慈悲深い死を与えないことで、生を望む小さな火花を灯していた。どうあれ私が苦しんでいるのは奴らの罪だ。この暗闇を作り出したのは奴らだ。私は神から目を背けなかった。奴らが壊疽にかかった肉塊のように私から神を切り取ったのだ。連中が私の生存を望むなどありえない。何人も神から離れて生きてはいけないのだから。望むとしたら私が苦しむことだけだ。

 そう認識した途端、こいつらに満足を与えてなるものかという欲望が湧き上がった。

 私を死なせはすまい。じきに、死なせておけばよかったと思うことだろう。

 神が奴らをお裁きになる。

 裁くのは神だ。当然のことだ。

 私は莫迦だった。本当に重要なことは何か忘れていた。こんな取るに足りない拷問に悩まされ、単純な真理を見失っていた。神は子を害さない。神は自らの子を見捨てはしない。

 だが子を試しはする。神はどんなときも私たちに試練を課す。神はヨブから全財産を剥ぎ取り、灰の中で腫れ物を掻かせたではないか。アブラハムに息子を殺すよう命じたではないか。信頼に応えたふたりを御許へ引き戻したではないか。

 私は信じる。神は義人に報いることを。見ずに信ずる者はさいわいであるというキリストの言葉を。そして今の私は、信仰はかつて考えていたような卑しいものではない可能性を信じられるようになった。なぜなら真理から切り離されたとき、信仰は強さを与えてくれるからだ。

 私は見捨てられたのではない。試されているのだ。

 司教を呼びつける。なぜだろうか、今回はやってくることがわかった。

 司教はやってきた。

「私は聖霊を失ったのだと言われました」と私は言う。「とんだ間違いです」

 司教が私の顔に何かを認めた。表情が変わる。

「モーセは約束の地に入れませんでした」私は続ける。「コンスタンティヌスは燃える十字架を生涯で二度しか見ませんでした。神がタルサスのサウルに語りかけたのは一度だけです。この三人は信仰を失ったでしょうか」

「彼らは世界を動かしました」と司教が言う。

 私は歯を剥き出す。我が信念が部屋に満ちる。「では、私もそうしましょう」

 司教が優しく微笑む。「あなたを信じます」

 私は司教を見据え、自らの無知に愕然とする。「こうなるとわかっていたのですね」

 司教が首を振る。「願うばかりでしたよ。ですが確かに、私たちがようやく学び出した――奇妙な真理は存在します。我ながらそれを信じているのか、今なお確信が持てません。時として、救済の体験ではなく、救済を求める憧れが偉大な闘士を生み出すことがあるのです」

 傍らの画面上でトラヤヌスが消尽することなく燃えている。ふと思う。この恩寵からの転落が全くの偶然だったとしたら。結局はどうでもいいことだ。自らの傷と似た傷をかつてどこで見たのかを、私はようやく思い出す。

 これまで私が神の御名の下にしてきた行為は、薄弱で血の通わない行いだった。これからは違う。私は天国へ帰還しよう。剣を持つ腕を高く掲げ、最後の不信心者を屠るそのときまで決して下ろさずにいよう。主の御名の下に屍の山を築こう。私が斬る喉からは川が流れよう。主の御前に戻ることが叶うその日まで、私は止まらないだろう。

 司教が身を乗り出し、革紐を緩める。「これはもう必要ないかと思います」

 どうせこんなもので私を縛れはしない。紙のように引き裂くことができるのだから。

 私は神の拳である。

 あとがき

 巷説とは裏腹に、神は遍く存在するわけではない。確実にその姿が見られる唯一の場所が側頭葉だ――少なくとも、カリフォルニア大学サンディエゴ校で信仰の厚いてんかん患者の脳を調べていたヴィラヤヌル・ラマチャンドランが神を見つけたのはそこだった。ペンシルヴェニア大学のアンドリュー・ニューバーグが瞑想中の仏教徒の脳にトレーサーとして放った放射性同位体から判断するに、全能の神が頭頂葉に屯することはない。最も劇的で最も物議を醸している例を挙げると、ローレンシアン大学のマイケル・パーシンガーは、精密に制御された電磁場に脳を浸すヘルメットを使えば、宗教的体験を誘発することができると主張している。

 私たちは仕組みを解き明かし始めている。ラプチャーは人間が体験する他のあらゆるものと同じく、純粋に神経学的な現象である。こうした理解からは不可避的に制御の可能性が生まれる。宗教的信念――多数の人類を苦しめているまったく不合理な疾患には治療法があるのだ。

 無論、治療法など求められていない。神経学的理解なんてまるでなくとも、宗教は数千年にわたって優れた社会統制の手段であり続けてきた。おそらくこうした新しい知見は私たちをラプチャーから解き放つためではなく、その効果を最大限に引き出すために使われるだろう――今以上に私たちをより御しやすく、より従順に仕立て上げ、主人への疑いを弱めるために。

 現在、私たちはその道への第一歩を踏み出したところだ――仮に、その一歩が踏み出されたのが二一世紀初頭ではなく三世紀だったらどうだろう。それはローマ皇帝コンスタンティヌスが戦争の勝利を約束する宗教的幻を目にし、キリスト教を公認した時代だ。古の奇蹟を探し求めて聖地に遠征隊が派遣されたらと仮定するのは、それほど無茶なこじつけではない。

 私は想像する。シナイ山に眠る磁鉄鉱の鉱脈が、一六世紀昔のモーセに語りかけたときのように、コンスタンティヌスの巡礼隊に語りかける様を。そして神経神学ルネサンスの種が(必然的に電磁気学の形を取って)蒔かれ――それから千年の時を経て、この物語が始まる……。

 もちろん、パーシンガーのゴッド・ヘルメットの代わりを務める自然の奇蹟なんてものはギミックにしても信じがたいものだ。とはいえこの奇想を前提にして導かれる社会への影響は非常にもっともらしく、ほとんど必然的な感じすらある。思うに並行宇宙を扱う物語はどれもカオスに焦点を当てるあまり、慣性をおろそかにしているのではないだろうか。蝶がどこで羽ばたくかは、どうでもいいことなのかもしれない。

 きっと、人間の本性があらゆる時間線を同一の終点に引き寄せてしまうのだろう。

Launch Date: Feb. 26, 2021

Last modified: Mar. 4, 2021

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