ヒルクレスト対ヴェリコフスキー裁判

 訴訟の事実関係は単純明快だった。ペンサコーラ在住の敬虔なペンテコステ派、五〇歳のレイシー・ヒルクレストは、手術不能の悪性リンパ腫により余命六ヵ月との診断を受けた。五年後、虚弱ながらもまだ存命。生存は姉のグレイシー・バルフォアから譲り受けた銀メッキの装飾用十字架のおかげだと考えた。証人たちはヒルクレスト夫人の健康状態がトーテム像、すなわちグレイスランド・ミント社がゴルゴタの聖十字架の断片を含んでいると主張する製品を購入してから、劇的に改善したと証言した。

 六月二七日の朝、ヒルクレスト夫人とその姉は、ライナス・C・ヴェリコフスキーがひとりで所有および管理している〈似非療法・疑似科学博物館〉を訪れた。博物館にはアメリカの歴史を通して蔓延してきた疑わしい信念や理論、明らかなデマに関する様々な展示があった。バルフォア夫人はインテリジェントデザインの展示で別の常連客との白熱した議論に突入し、一時的に妹の行方を見失う。最終的に姉妹は心身現象、特にプラセボ効果と信仰治療を扱った展示で再会した。ヒルクレスト夫人はその展示を熟読していたらしく、後に「意気消沈して無口だった」と形容されている。一ヵ月も経たないうちに夫人は亡くなった。

 ヴェリコフスキー氏に対する罪状は過失致死であった。

 検察側はアンドリュー・デトリタス博士を召喚した。特定の争点の(時に物議を醸す)ある側面について印象的な専門家証言を残してきた臨床心理学者である。博士はプラセボ効果は議論の余地なく実在すると証言し、「態度」や「価値観」は(脳のあらゆる随伴現象と同じく)突き詰めれば神経化学的な性質を持つと指摘した。信念は文字通り脳を再結線するし、プラセボ効果の存在は信念の変化が人間の健康に多大な影響を及ぼしうることを示している。

 ヴェリコフスキーは証言台に立ち、単刀直入に自らを弁護した。展示に書かれている主張は全て事実に即した正確なものであり、科学的根拠によって支持されている、と。検察側は妥当性の観点から異議を唱えたが、少々の議論の末に却下された。

 反対尋問中、ヴェリコフスキーの主張に異議を唱えることから離れた検察側はしかし、相手の主張を逆手に取って自陣の論拠を強化した。被告は故意に「我らが偉大な国家の中でもとりわけ信仰に厚い地域」で事業を始め、「誉れ高きレイシー・ヒルクレストの幸福など一顧だにしなかった」。自ら認めたようにヴェリコフスキー氏がフロリダを選んだのは「創造博物館の多さ」が理由であり、人々の信念に虚偽の疑いがかけられていると思い知らせることにその狙いがあったのは疑いようがない。また、学問的な展示を設けていたヴェリコフスキー氏がプラセボ効果に精通していたのは明らかである。何が起こると思っていたんでしょうか、と検察側は大音声を轟かせた。いわゆる真理とやらを、「汝に一粒の辛子種ほどの信仰があれば、汝は山をも動かせる」を座右の銘とし、お気に入りのクッションに編み込んでいる人物に無理やり押しつけたら。ヴェリコフスキーは「真理」を伝えることで、故意かつ向こう見ずに他人の生命を危険に曝していたのです。

 ヴェリコフスキーは自分がレイシー・ヒルクレストの存在自体知らなかった点を指摘し、何かを枕カバーに刺繍したからといってそれが真実になるわけではないと続けた。検察側は、遊び場に地雷を埋めた男は犠牲者の名前も知らなかったのだ、と応じ、被告の刺繍発言はイエスを嘘つき呼ばわりしていると見てよいか、と尋ねた。弁護側は終始異議を唱えていた。

 実のところ弁護側は依頼人の宣誓以来ずっと苦戦を強いられていた。ヴェリコフスキーは、真実を語ることを「虚偽の書」に誓うのは裁判所が主張する経験主義への献身を覆すことにならないか、と尋ねたのである。陪審員はその問いに感銘を受けなかったらしく、その後も同情が深まる様子はなかった。

 最悪の場合、陪審員たちは専門的な根拠を顧みない恐れがあった。だが、弁護側に発掘できた先例と言えそうな事例は、砂糖と重曹の混合物がヘルペスの治療薬として処方一回当たり二〇〇ドルで販売されていた通販詐欺を扱った「デクスター対ヘルプビーゴーン裁判」だった。その「治療薬」は(当然ながら)効果なしと証明されたが、ヘルプビーゴーンの弁護団は、プラセボの効能が価格に比例することを如実に示したウェーバー他による二〇〇八年の論文(参考文献1)を引用し、デクスターがもっと高額を支払ってさえいれば治療は功を奏した可能性があると主張した。デクスターはそれを拒んだのだから(別名の同製品は四〇〇〇ドルで販売されていた)、責任は原告にあると。この訴訟は却下された。

 これを持ち出すのは代償を伴う危険な一手になっただろう。類似点は明確とは言いがたい。代わりに、弁護側はグレイス・バルフォアを証言台に再喚問し、聖書は神の言葉の啓示だと信じているか尋ねた。バルフォア夫人はその通りだとあっさり認め、それは私の信仰です、と続けた。おかげで天地創造の展示を前にあの卑劣漢が猿人間と放射性同位体の話でからかってきたときも、強くあり続けられたのです、と。人間の姿を真に示す化石なら見たことがありますし、信仰を試す試練は申命記第一三章に記されていますから、と。

 どうも妹さんはあなたの強い信念を共有していなかったようだが、それはなぜかと問われると、バルフォア夫人は渋々、「あの卑劣なロシア人」が妹の信念を「嘘と虚偽」で砕いてしまったのだ、と認めた。

 しかし、そもそも聖書がそのような邪悪に打ち勝つ力を信徒に与えてくれるのではなかったか。マタイは「偽の預言者が現れ、多くの者を欺くであろう」と警告しているではないか。ペテロの第二の手紙には「あなた方の間に偽教師が現れ、滅びに至る異端をもたらすであろう」とこの上なく明白に書かれているではないか。

 ええと、そうですね、とバルフォア夫人は認めた。確かにヴェリコフスキーは偽預言者だった。悲しいことだが、弁護側が夫人に指摘したように、偽の預言は犯罪行為ではない。

 結果として専門的意見による免罪に頼る必要はなかった。事実関係を示された陪審員の評決は満場一致だった。レイシー・ヒルクレストは一同を納得させるに足る勇気を見せなかった。結局、彼女の信仰が一粒の辛子種よりもずっと小さかったのは、誰の責任だったのだろう。

 参考文献:レベッカ・L・ウェーバー、ババ・シヴ、ジヴ・カーモン、ダン・アリエリー「プラセボの治療効果の商業的側面」(〈ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・メディカル・アソシエーション〉誌、第二九九巻九号、一〇一六頁~一〇一七頁、二〇〇八年)

 Futures に初登場したピーター・ワッツの掌編は、元同僚らの嫉妬と怒りに満ちた羨望の遠吠えを引き出すことに失敗した。元同僚らはアカデミアを去ってSF作家になるという決断を嘲笑い、〈ネイチャー〉誌に是が非でも掲載されたいがために何年もの月日を費やした。ワッツは再度の掲載が胸のすくような感情の爆発を起こすことを期待している。

Launch Date: Feb. 26, 2021

Last modified: Feb. 26, 2021

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